「小さないのち」会報--会報 No.59
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2006年03月26日
会報 No.59
こころの扉(会報41号)              平成15年 月

平成1711

発行 小さないのち

 
こころの扉(会報59号)               

  

特集 きょうだいのケア ー当事者の視点でー

 

  “きょうだいを亡くした子ども”のこころのケアは、まだまだ研究途上である

なか情報は錯綜し、会員の多くが不安や苦悩を抱えています。

当会でも有識者からの情報を集める準備を進めていますが、体験者の立場から

今回提案をいただきましたのでご紹介します。

 

 

会員 ○○ ○○

 


体験者としての私

 

 私には二人の子どもがいます。でも一人は天国に…。78ヶ月前の127024分、長女知聖は35ヶ月の短い生涯を閉じました。現実を突きつけられ受け入れる事ができず、ただ呆然とする自分と、これは絶対「何かの間違えでドラマなんだ」と耳元でささやくもう一人の自分がいました。

 

 しかし時間はどんどん過ぎていきます。お通夜や葬儀は待ってはくれません。納得などできるわけもなく、涙も全くでない状態でした。そんな中、次女のインフルエンザの兆候。気付かぬふりをして「もうこのままどうにでもなればいい!」そんな恐ろしい考えも私の心をかすめました。でも「この子の母親も私なんだ」という自覚が私をとどまらせ、病院へと走らせました。結局、同じ病院へ行くしかなく、そのあげく同じ病室へ連れて行かれ、意識を失いそうになるのを必死にこらえるしかその時の私にはできませんでした。それから次女は1週間入院。

 

 退院してからは、元の生活に戻る勇気も気力もなく、私の兄達の計らいで、すぐ引越しをしました。そこは見晴らしのいい5階。突然の死を全く受け入れることができず、退院して元気を取り戻した5ヶ月の娘を抱え、毎日仏前に座って過ごすという日々が続きました。日にちが経つにつれ、自分への嫌悪感、罪悪感、自己否定の気持ちに私の心は支配され、生きる意味、目的を失いました。

 

 「娘を死なせてしまった自分がなぜ生きているのだろう」そんな疑問が次から次に頭の中で繰り返され、そのうち気付くと、ベランダに出て下を見て立っていることが多くなりました。それも無意識のうちに…。それをいつもハッと気付かせてくれたのが次女の泣き声でした。こんな状態が半年も続きました。その間、ずっと引きこもっていた私ですから、必要に迫られ、いざ外へ買物に行こうとしても、「行けない!」「行きたくない!」「人と会うのがつらい」「子どもを見たくない!」そんな現実が待っていました。

それでも日常生活をこなしていかなければいけません。そこで私は、極力人に会わなくても良い人の出かけない時間を探し、小さいスーパーばかり狙って出かけるようになりました。そんな中でもベランダに立っているという行動は繰り返されていました。

 

 しかし次女は日々成長します。当時かかっていた小児科の先生に、「人間だから人間らしい生活をさせてあげたほうがいいですね…」と言われたことを今でも覚えています。他の子に比べ、あまりに色が白かったのでしょうね(笑)。

 それからは未解決の気持ちに“フタ”をし、次女のことを考える時間が私の生活の中に加わるようになりました。なるべくよその子どもたちが幼稚園や保育園へ行っている時間に、一日一回ひっそりと静まり返った公園を求め、娘を連れて出かけるようになりました。でも、同じくらうの小さな子どもを連れて来ている人もいて、そんな親子を見かけると、帰ってきたり、話しかけられないようにその場を離れたり、そんな行動をとっていました。「子どもさんは何人?」「ご兄弟は?」と聞かれるのが嫌だったからです。

 

 運悪く出会ってしまい、聞かれた場合は、「2人ですけど、上の子は病気で亡くなりましたので」と、決まって答えました。「1人です」と答えれば、その場は何事もなく過ぎていきますが、自分の心のなかでは“長女の存在自体を否定してしまった”と、自責の念にとらわれ、やりきれなくなってしまうからです。でも、このことを伝えれば、いつも状況は同じでした。とても哀れんだ顔をされるか、驚いた顔をされて、「ごめんなさいね」と言われます。この「ごめんなさいね」という言葉にも、私は強い抵抗を感じ、体の中で言い知れぬ寂しさと腹立たしさと、相手に嫌な思いをさせてしまったという自分への嫌悪感がぐるぐると渦巻いているのを感じていました。どっちにしても、娘を亡くしてからの外出は、何をするにもストレスの連続だったように思います。

 

会との出会い

 

 そんな中、たまたまTVを見ていた母が、“小さないのち”の会のことを知り、連絡先を控えておいて、私に渡してくれました。1ヶ月ほど迷ったあげく、思い切って電話をしてみました。その時出てくださったのが坂下さんでした。話をしているうちに、「この人は違う。分かってもらえる!」と思いました。それから1時間ほど話をさせていただいたと思います。

 

 私が少しずつ外出できるようになってから、あまり人のいない本屋へも立ち寄るようになっていました。そして、“死”について書かれている本をジャンルを問わず購入し、むさぼるように読んだこともあり、私は1つの考えにその頃たどりつきました。

それは、「娘を死なせてしまった自分が生きていいのは、何か社会に貢献するからで、その長さによって生きていい分許可されている」という考えでした。そう思い始めていた矢先だったので、坂下さんとの会話は私にとって一筋の光となり、「この会で何か役に立ちたい!」と思うようになりました。愛知支部をお引き受けしたのも、このように考えていたからです。今考えれば、とても屈折した考えでしたが……(笑)。

 それから、私の生活は少しずつ変わり始めました。同士がいることを知ったのは、本当に大きかったのだと思います。私にもようやく心の拠りどころができたのです。

 

次女の入園

 

 そんな中、次女の入園が近づいてきました。本来ならば、両手を挙げて喜ぶべき事なのに、あの恐ろしい質問の数々を浴びせられるかと思うと、憂鬱でしかたありませんでした。入園したら、親である私もどうしても人の中に入らなければならない辛さを考え、荒治療をするため、“人のために何か役に立つ仕事をしよう”と、資格取得のための勉強に通うことにしました。お陰で半年後、ヘルパー2級の資格を取得することができました。しかし、私にとってもちろんこの勉強は、人の中に出るためのリハビリであり、私の屈折した考えに基づく行動でした。

 

 そしていよいよ娘の入園。こんな不安定な精神状態の私のもとで、すくすくと成長してくれた娘に、感謝する気持ちと喜びがありましたが、それと同時に、見たくない光景(=兄弟姉妹の子どもたち)を見せつけられて、吐き気がするほどに嫌な気分になっていました。帰りの会で、クラスごとに役員決めが行われ、まったく予測もしていない中、お引き受けする事になってしまいました。どうして引き受けてしまったのだろう…。本当に精神状態が不安定な私に果たしてできるのだろうか…。

 

複雑な思いにまた苦しめられる時期がつづきました。ただ以前と違っていたのは、会に入会していたお陰で、「同じような思いをした人が私のほかにもいる」ということでした。そのお陰で、その頃には無意識のうちにベランダに立っていることがほとんどなくなっていましたし、以前長女、次女と共にそうしていたように家の中にはラジオが流れているようになっていました。そして偶然流れてきたル・クプルの「陽だまりの詩」。私の心に浸透し、感情を強く揺さぶられました。お陰で、少しずつ涙が流れるようになり、娘が幼稚園に出かけている間、仏前で泣いているようになりました。

 

テープ完成

 

 そのうちに、子どもの頃から歌の世界に関係していたこともあり、ル・クプルの歌声に心を動かされたように、自分の歌で同じ思いの人に少しでも楽になってもらえたらと、色々な人達の支えもあり、「風の中のあなた」が完成しました。この歌の活動は今でも続けており、年に4〜5回お呼びいただき、歌っております。また有線では毎日リクエストをいただき、流れております。このテープは私にとっても支えとなりました。

 

 

残された次女

 

 次女は入園式を終え、毎日通い始めていました。私も役員として園に通う日が多くなっていました。そこで気付いた娘の状態―

 

まず笑顔がほとんど見られませんでした。そして、とても淡々としている様子を目の当たりにし、これは間違いなくいままで私達が過ごしてきた日々の生活の結果だと痛感しました。 

病気に関しては幼稚園児とは思えないほどの敏感さで、誰かが風邪をひいたら、いてもたってもいられず、不安で不安でしょうがなくて、自分のおでこを触っては「大丈夫?大丈夫?」と心配するようになっていました。また、今まで聞いたことのない病名を聞くと、自分で医学書を調べたり、その子の親に「症状は?」「熱は?」「ぶつぶつは?」などと、お医者さんのようなことを聞いて質問攻めにするなど、子どもらしからぬ行動をとりました。

 

前者のほうは間違いなく私の愛情不足からくるものでしょう。そして後者に関しては、私の病気に対する不安や警戒心が、次女に影響を与えたものだと思います。現実には一人っ子になり、閉ざされた環境で育ってしまったことからくる、人間関係やコミュニケーション能力の不足がとても感じられました。また、家では私が毎日長女の写真に話しかけることからくる見えない相手への強い“やきもち”や“ひがみ”が見られました。

 

突然起こり始めた体調不良

 

 二人の娘に対する申し訳なさ、そして自責の念、屈折した私の考えが、私の身体に異変を起こし始めました。突然の飛蚊症(アメーバー状)と、レンズの濁りによって、私の右目はとても見づらくなり、車を運転することができなくなりました。また、網膜はく離になりかかり、二度のレーザー手術(これは今でも続いています)。そして今度は耳でした。突発性難聴、メニエール、原因不明の耳つまり感。そして今度は急性咽頭炎で4041℃の高熱に一週間悩まされ、一時は情けないかな髄膜炎の心配もされる状態になってしまいました。また、以前から持病としてもっていた偏頭痛が、毎日起こるようになり、あまりの激痛と吐き気に、MRIを撮るはめになってしまいました。結果は、異常なし…。

 

 立て続けに1年半もの間、病魔が襲ってきました。「何で?どうして?生きる価値がないならそう言ってよ!」。誰にも言うこともできず、自分の心のなかで自問自答する日々が続きました。娘が亡くなってから5年半が経過していました。

 

カウンセリングとの出会い

 

 そんな中で、たまたま見かけた書店での、カウンセリングという文字。今までカウンセリングを受けたことがありませんでしたし、「会以外の人に話しても、同じ体験をした人でなければ心の奥まで分かってもらえるわけがない」と思っていましたので、自分がカウンセリングを受けてみる気は全くありませんでしたが、そこに書かれていた受講生という文字に釘付けになりました。

 

 実は、知聖(長女)がおなかにできる前、私は以前から興味をもっていたカウンセラーという資格を目指し、通信講座を受講していました。好きな事でしたので、スムーズに進み、あと少しで資格取得に手が届きそうなところまできていました。でも長女がおなかにいることがわかり、しばらく続けていましたが、ひどい“つわり”に悩まされ、断念せざるを得なくなってしまいました。この文字を見たとき当時の思いが蘇り、また今の私の現状を考えると、「ここで何か変える努力をしなければ」そんな思いにかき立てられ、次の日電話をかけることを決意しました。

 

それに、次女は姉が亡くなったことで、普通なら“しなくてもいい思い”をずっとしてきました。一番母親の愛情を必要とする時期に十分な愛情を得られませんでした。会話のない家の中、人との関わりがほとんどなかった環境、そんな中で成長した娘は、先ほど書かせていただいたように、どちらかといえばあまり笑わない、淡々とした子どもになっていました。「娘に何かを伝えたい!」「いま娘のために何かしなければ!」。こんな思いも私の背中を押してくれました。

 

 いざ学び始めても、私の体調不良は続きました。今度は椎間板ヘルニアになり、恥ずかしい話、自分で下着も付けられない状態になってしまいました。その上、CTの結果、「悪性ではないと思いますが、すぐに手術をしたほうがいいですよ」と言われ、ようやく本当の意味で前向きにがんばろうと思った矢先に、思いっきり頭を殴られたような気分でした。それに、私は1ヵ月後に名古屋での公開講座を開催する予定になっていましたので、本当にショックでした。

 

今手術をすればせっかく準備してきたことが無駄になり、参加くださる方々にも迷惑をかけてしまいます。私は手術を選ばず、何とか治療してくださる先生を探し、痛みはあるものの杖を着きながら歩ける状態にまで回復する事ができました。皆さんの協力がなければ実現できなかったと思います。本当にありがたかったです。今はお蔭様で、普通に日常生活をこなせるようになりました。

 

 カウンセリングを学ぶことで、自分自身と向き合う作業が始まり、無理やりフタをしていた気持ちにも真正面から立ち向かわなくてはなりませんでした。そんなことから、きっと色々なひずみが生じ、ヘルニアという形で現れてきたのだと思っています。でも自分のために、解決するのも自分だと自覚し、ありのままを受け入れていかなければと思い、学び続けていきたいと思っています。

 

体験を通し、学びを通しての自分の思い

 

 自分の娘を含めて兄弟姉妹に喪失者をもつ子どもたちは、何らかの心理的影響を受けているのではないかと私は感じています。ようやく親自身の心のケアについて目が向けられ始めている昨今、子どもたちの心のケアについてはまだまだというのが現状だと思います。どのような影響が出てくるかは、これから子どもたちが成長する過程において表出されてくるものであり、またその子のパーソナリティーによっても表出のされかたや影響の強弱、年齢や性別、環境によっても違いが出てくるものと考えられます。

 

 そんな中で私たち大人は、この子たちが成長した結果、出てきたデータをもとに対策をとるというかたちで果たしていいのでしょうか。可能性として今後もし不幸にも私たちと同じ体験をしてしまう子どもたちには、少なからず有効なのかもしれません。しかし、今現在、顕在意識、潜在意識の中で、それぞれ戦っている子どもたちのためにはこの問題に積極的に取り組んでいかなければならないと思っています。また、そう考えていらっしゃる親御さんや専門家の方々も多くいらっしゃると思います。個々にそれぞれ問題意識をもち、活動されている方も多いと思いますが、協力体制ができていないというほうが正しいのかもしれません。

 

 私としては、すぐにでも真剣に取り組んでいかなければならないと思う理由の一つに、自分が子どもを失ってしまったことで、残された子どものことを考える余裕がなく、正常な状態で関わってあげることができなかった。そのことによって作り上げてしまった不健康な環境のなかで育ててしまった申し訳なさ、そして“自分が与えた影響”という、まいてしまった種を、自分で直視し改善を心がけることで、刈り取る努力をしなければならないと思ったからです.

 

 またもう一つには、子どもたちへの影響を私たちの時代で止めなければならないと思ったからです。私の場合で言えば、私が愛すべきときに愛してやれなかったことで、娘がそのとき潜在的な部分も含めて感じてしまった思いや気持ちがひずみとなって、次に(娘が)子育てをする際、影響が出てしまうのではないかということを心配するからです。だからこそ、すぐにでも真剣に取り掛からなければということを強く感じています。

 

アートセラピスト

 

  私にでは何ができるのか… そう考えたとき、アートセラピストという資格を生かし、会のお母さん方、会の子どもたちに少しでも心休まる時間をもってもらえるよう、私でお役に立てるならそういう場を今後作っていけたらと考えました。私自身みなさんと同じ体験者です。そしてみなさんと同じ喪失のきょうだいの子を育てる母でもあります。

 

 安全な守られたスペースで、皆さんご自身が抱えておられる“思い”を一緒に分かち合い、考え、皆さんご自身がご自身なりの生きやすさを見つけられるまで私でよければ援助させていただきたいと思ったからです。これは私の屈折した考えからではありません。自分自身と向き合ったことで心の底から湧き上がってきた思いからです。

 

アートセラピーとは

 

 一般的には6歳〜年配の方々までが対象といわれております。相談者の方に絵を描いていただいて、それを媒体として心理カウンセリングを行っていくものです。絵を描くものだけではなく、雑誌を切って貼っていただいたり、なぐり描きをしていただいたり、いくつもの方法があります。また、絵の上手下手はまったくこのアートセラピーにおいては関係がありません。描いていただいたものによって、“こういう傾向”という見方はありますが、季節感を表すために描いたなど、そのときの思いについても伺いながら、進めてまいります。

 

そして、このアートセラピーを通して、3つの効果が得られるといわれておりますが、1つには、自分の無意識の部分が映し出されることが多いということ。2つ目には、描いているうちにすっきりしてくる感覚が得られる場合があるということ。3つ目には、客観的に自分の絵を見ることで、意外な発想や発見が得られる可能性があるということです。以前、ラジオを聴いておりましたら、何か腹が立ったことがあったとき、誰にも言えない場合は紙に思い切り書いて破り捨てるとストレス解消にとてもいいということを言われていましたが、まさしくこの2つ目に相当すると言えるかもしれません。

 

だからこそ大人のように、自分の気持ちをうまく伝えられない子どもたちにとっては、このアートセラピーはとても有効なのではないかと感じています。自分の内面に閉じ込めて普段誰にも言えず我慢していることを、アートセラピーを通して表出することで、少しでも子どもたちが、そしてお母様たちが生きやすくなればと心から願ってやみません。

 

ただあらかじめお伝えしておきたいことは、カウンセリングには守秘義務というものがあり、いくらお子様のことだからといって、こと細かくお母様にお伝えすることはできません。だからこそ、守られた安全な場所でお話しいただくことが実現できるわけです。ただ「今はお母様の愛情をとても必要とされています」というかたちで、サポート体制をとっていただくためにお伝えすることは可能かと思います。また、アートセラピーは抵抗があるとおっしゃられる方には、対話のみという形でお役に立つことができれば嬉しく思います。

 


 

 

角丸四角形: 書 評:
「旅立ちの朝に」  :  曽野綾子・アルフォンス・デーケン
                               松城 里香
 

 

 


 

みなさん、こんにちは。夜空に月の美しい季節になりましたね。

書評も三回目となりました。今回は、今までより少し固い本を紹介させていただきます。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私は、「大阪・ひまわりの会」という遺族の会の世話人代表をさせて頂いております。(「大阪・生と死を考える会」の分科会でもあります。)

初めて坂下さんや立石さんとのご縁ができたのも−もう何年前になるでしょうか−実は「大阪・ひまわりの会」に立石さんが来られたことがきっかけでした。

そういうわけで、今回は12年前私自身が子どもを亡くし、悲しみに暮れていた頃に、「生と死を考える会」やデーケン氏と関わるようになったきっかけとなった本を紹介させて頂こうと思っています。

息子を亡くしたばかりで悲しみの中、手当たり次第に本を読んでいた私の心に、この本の中の言葉は温かく沁みこんでいきました。もちろん、ただ優しいというのでなく厳しい意見も随所に見られますが、それをも含んで、温かい気持ちに溢れた本ということが言えると思います。当時、この本を読んで東京の「生と死を考える会」の定例会に出て行ったことが、今の私の出発点となっています。

これは、作家の曽野綾子さんと、哲学者(当時上智大学の教授)で神父さまであるアルフォンス・デーケン氏の往復書簡という形をとって、死についてさまざまな角度から述べられている本です。デーケン氏は、当時「生と死を考える会」の会長でした。(現在は「東京・生と死を考える会」の名誉会長です)。もちろんキリスト教的なものの見方や発言は随所に見受けられますが、それはむしろ、生き方の潔さとして、受け取れるように思います。

死について語りながら、決して暗くはならず、ユーモアーも忘れずに、また、回を重ねる毎に驚くほど多彩な話とともに死へアプローチしていくお二人の話にいつの間にか引き込まれ、「死」だけでなく、「生」や「愛」についても深く考え込んでしまうのです。

その上、死は決して別れではない。あの世での再会が約束されているのだ。と明確に述べられており、当時の私に、天国の息子との再会の希望(何よりのプレゼントでした)を与えてくれました。

そして、今では、日々の生活に追われ怠惰になり、時には投げやりになりがちな私をそうではないところに、引き戻してくれ、ギリギリの時点で真摯に生き抜く術を、また、死を見つめながら生きるスタンスの取り方を、教えてくれる拠りどころでもあります。

亡くなったわが子の「旅立ちの朝」を思いながら、あるいは自分の「旅立ちの朝」を思い描きながら、秋の夜長に手にとってみたい一冊です。