「小さないのち」小さないのちの取り組み--近畿地区国立病院看護学会シンポジウム抄録
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坂下裕子の不定期日記 日々のささやき
小さないのちの取り組み
立石由香から事務局だより
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2014年12月20日
近畿地区国立病院看護学会シンポジウム抄録
喪失の先にある生を支えるかかわり

 こども遺族の会「小さないのち」
 坂下 裕子

 人生を左右するような出来事が私には3度あり、
いずれにも看護師の存在が大きく影響したことと、
そこに見出した共通項について話したいと思います。

1つ目は娘の突然の死でした。
インフルエンザ脳症という深刻な病気を発症し、
誤診が続いて重症化してからのことでした。
治療を受けさせることのないまま亡くすかもしれない
恐怖に震えながら、転送される救急車内で私が目にしたのは、
暗闇の向こうに立つ救命救急のスタッフでした。
凍てつく寒さのなか、搬送されてくる重症の子どもを、
建物の中で待つのではなく外に立って迎えてくれる姿に、
私は100パーセントの信頼を結びました。
まだ言葉も交わす以前の見ず知らずの相手に対して。
娘は、懸命な治療と温かい看護に恵まれて亡くなりました。
そう認識できるのは、治療への熱意と
患者への思いやりを最初に目にしたからです。
この認識が、消えてなくなることのない悲しみを
支える礎にもなっています。

娘の死から5年が過ぎ、次の子を切望するなか、
私は子宮がんに見舞われました。
婦人科でもっとも大きな手術が施されたあと、
命は助かったものの、自分で用を足すことのできない
不自由な体を抱え持ちました。
手術は、病気だけでなく尊厳や自尊心も取り去ったと感じ、
誰とも口がきけなくなった私に、寄り添い続けてくれたのは
担当看護師のFさんでした。
「一緒にがんばりましょう」という言葉通り、
病棟に勤務する間中、Fさんの目は私の行動を捉えていました。
そのことに気づいたときから、
自立に向けた本格的な取り組みが始まりました。
4か月かけて果たしたトイレの自立は、
自ら生きることに直結していました。
「生きている」ことと、「生きていく」ことは、
まったく別だと実感したのです。

こうして悲しみを超えて生きてきた私ですが、
昨年始まった母の介護はつらいものでした。
聡明で偉大な母が認知症患者になったことも痛手でしたが、
末期症状になるまでがんの発見が遅れたことは悔やまれました。
患者の気持ちや意向を尊重することが何より大事、
と考えてきた自分が、本人の意に反して入院や延命処置を
強いることに苦しみましたが、
「間違っていないと思います。
お母さんのいのちはみんなのものだから」―訪問看護師の
Oさんにかけてもらった言葉が、
母の死後も自責感を和らげてくれています。
「住み慣れた自宅で過ごしたい」という
母の希望を全うすることができたのも、
訪問看護の皆さんのおかげです。

 グリーフケア(悲嘆ケア)は、
死別後に始められるよりも、
患者の死を予感したときから行われることが大事とされています。
また、グリーフとは死別に限らず大きな喪失を含みますので、
身体の一部(子宮)を失うことも、
身体の機能を失う(子どもが産めなくなる)ことも
グリーフでした。折々に受けた医療や看護の質は、
そのときの私をしっかりと支えてくれただけでなく、
その先の暮らしや、人生そのものを支え続けてくれていること
を感じながら今を生きています。