「小さないのち」日々のささやき--沈黙のむずかしさ
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坂下裕子の不定期日記 日々のささやき
小さないのちの取り組み
立石由香から事務局だより
Pfizer
2017年09月30日
沈黙のむずかしさ
グリーフケアのスクールで、ときどき
葬儀社のスタッフの授業を担当する。
先日、優れた受講者が何人もいた。

普段から悩まれていることとして、
これは職種を問わず、みんなに共通することとして
深い悲しみに対し、言葉にならず、言葉が返せないまま
対話が終わってしまうことがある という。

私は、それはいいことだと思っている。

え?それでいいんですか?
と聞き返されるが
とにかく言葉を作って、返す、となると
言わないほうがいいことを、言ってしまうことだってある。

同様の状況で、私自身がかけられた
「もし、あゆみちゃんと別れるのが、もっと大きくなってからだと
もっと辛かったと思うよ」
という言葉があるが、悲しみのさなかにいた私には
なぐさめにも、はげましにも、ならなかった。

言葉が見つからなくても、そばにいてくれる。
適当な言葉に逃げずにいてくれる、心の深さが
染み入るように有り難かった思いも、たくさんしてきた。

正解はないと思うが
思いを共有している沈黙は、対話だと思う。

そんな話をしていると、質問があった。
沈黙は、相手にプレッシャーをかけることもあるのでは?と。

良い質問だと思った。
沈黙は、
長く続くと、互いに、「どうしよう」と思うことがある。
そして、相手に気を遣わせることがある。

ごめんなさいね、暗くさせてしまって とか
あー、こんなに時間経ってしまって など
思いがけず、相手が、すっと立ち上がる
みたいな状況なるとき、実は、私のほうは
立ち上がれない感覚になっていて、
もうしばらく、さきほどのお話の余韻の中に身を置かせてください
というのが本音としてあることが多い。

確かに、沈黙は、終息のところが難しいかもしれない。
それでも、
言葉を失うような、悲痛な胸中が語られたときには
意味をなさない言葉を絞り出したりせず
「ごめんなさいね」と言われたとしても、
静かに首を横に振って
じっと、いたいと思う。