「小さないのち」喪失家族--賢信くん
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Pfizer
2004年6月27日
賢信くん
4人目にして初めての男の子だった賢信は
下痢から始まり数時間後には意識もなく、瞳孔も開いていました。
数時間前までは元気で沢山ご飯を食べたのに何故・・・
理解が出来ず、呆然としていました。
しかし入院先の病院では医師や看護師さんが本当に一生懸命やってくれました。
生きている子と同じように接してくれ、
私達に細かく説明をしてくれ、
私達は決して医療の部外者ではなかったのです。
そんな中で私達は冷静になっていきました。
賢信は生きるために頑張っている。
可哀相と思うのは賢信に失礼だと思うようになりました。 
しかし1才になったばかりの体は24日目に限界が来てしまいました。

 賢信が亡くなって、私はどん底の恐怖というものを味わいました。
本当に一気に落ちていきました。
ギリギリのところで生きて、ギリギリのところで生活しているという感じでした。
そこから抜け出す・幸せになる ということは、本当にはい上がる事で、 
はい上がるということは、また落ちる可能性があるということでした。
また落ちたら・・・もう立ち直れないだろう。それが怖くて幸せになる勇気がもてなかった。
また失う恐怖を味わうくらいなら、幸せにならない方がいい。
これ以上の恐怖や苦しみにたえる力がなかった。
幸せにならないことは、自分にとっての最大の防御策でした。

 恐怖が大きければ大きいほど、登るのが怖いと思います。
体がその時の恐怖を記憶しています。
私は病院のおかげでその恐怖が緩和されました。
病院の対応は、私にとって本当に大きなものとなりました。
みんなであそこまでやったのに駄目だったんだから、
どうしようもない大きな流れがあったんだ。 
早い段階でそう思うことが出来たからです。
すべての人に、グリーフケアが受けられたらいいのに
そう思っています。

お写真

Link 賢信君のホームページ「会うはずだったあなたへ」